2016/12/26

IT系ブラック企業で過労死しかけたので4年分のタイムカードと実態を暴露する

突然だが、みなさんは「会社に殺されかけた」ことはあるだろうか?
某居酒屋チェーン店の女性社員、某コンビニエンスストアの店長、某広告代理店の新卒女性社員をはじめ、多くの尊い命が失われたことも記憶に新しいだろう。

そんな私も新氷河期を乗り越え新卒で入社した中堅SI会社で、長期間におよぶ過重労働を強いられ、文字どおりブラック企業に殺されかけた。

当記事では、ブラック企業の実態を知ってもらうため、入社2年目から退職までの4年分のタイムカードを公開しようと思う。当時どんな思いで働いていたのか、体調を崩したのはいつか、精神を病んだのはいつか、などタイムカードをもとに暴露する。今ブラック企業で働いている人や会社を辞めようか悩んでいる人の参考になり、1人でも多くの命が救われることを願っている。


※ 文中に登場する社名やプロジェクト名、人名のイニシャルには、とくに意味はありません。
※ 長文なので時間がない方は、「で、結局どうすればよかったのか?」まで飛ばしてください

なぜブラック企業に入社してしまったのか?


就職活動を始めたのは、リーマンショックの翌年。内定取り消しや就職浪人が社会問題となり、未曾有の不況だと言われた時期。
ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」のスレを読んだこともあり、システムエンジニアには絶対なりたくないと思っていた。しかし、希望する会社(音響系)はことごとく全滅。そんな中、滑り止めに受けていたSIerから内定を頂いた。

創立30年の中堅SIer。
子会社を何社か保有しており、海外展開もしていた。
社員数は170名ほどで、資本金は9,000万円。

ようやくもらえた内定と、採用情報を見る限りでは地盤もしっかりしていそう。ということで内定を承諾し、入社した。



中堅SIerの実態は、F社の下請け会社


要件定義から設計、開発、運用、上流から下流まですべてを手がけていると聞いていた。しかし、すべての仕事は某メーカー系SIerにズブズブな下請け会社だった。
便宜上、入社した会社をT社、某メーカー系SIerをF社として話を進める。

下請けは下請けでも、F本体→Fシステムズ(100%子会社)→T社→他社と、下請けグループの中では上位に位置していた。そのため仕事は、2年目の私がチームのサブリーダーになって、基本設計・詳細設計をしたり、親ほど年の離れた孫請け・ひ孫請けの方たちの工数管理や作業の調整をしていた。



大炎上しているプロジェクトの生贄になる


入社1年目の3月、大炎上して社内でも問題になっているプロジェクトに「設計者」として投入された。設計書なんて一度も見たことなく、OJTの名のもとにタスクと期限だけ決められ、放置プレーの状況で仕事をこなしていた。

参画時期は要件定義の終わり頃で、その時点で大量の積み残し課題があり、上流工程だというのに定時は23時、タスクは休日関係なく引かれていた。
タイムカードも上司に操作され、残業や休日出勤がもみ消されたり、有給休暇が振休に変えられたり(代休ではない)、、、やっぱりこの会社はおかしいと思い、勤怠記録を保存するようになった。(でも気づいたときには遅く、操作後の情報しか取得できなかった…。)

この地獄のようなプロジェクトは、2011年3月〜2014年3月までの3年間に及んだ。



残業時間と平均退社時間


4年分のタイムカードを元にグラフ等をつかって説明する。

まずは、T社の就業規則について。
このせいで残業時間が1ヶ月につき数十時間ほど短く計算されてしまっている。(法的には問題ない)

  • 就業時間: 9:00 〜 18:00
  • 休憩時間: 18:00 〜 18:30、22:30 〜 23:00、1:00 〜 6:00
    • 休憩時間はどれだけ働いても残業時間には加算されない
    • 23:00まで働いても、残業時間は4時間
    • 徹夜しても、残業時間は9時間
  • 半休を使った場合、勤務が8時間を超えてからでないと残業時間に加算されない
    • 例: 午前休を使った場合、休憩時間もあるので23:00以降しか残業時間に加算されない
  • 電車遅延等での遅刻は、午前有休を使う
    • 1分でも遅れた場合は午前休を使うことを強要され、もし拒否すると遅刻扱いとなり月1万円の皆勤手当が支給されなくなる
    • それが嫌なら遅れた時間分、残業して調整する(10分遅れたら、18:00〜18:40残業する)

携わっていたプロジェクトごとの期間と役割は以下のとおりだ。
  • 2011年3月 〜 2014年3月: 商社系Yプロジェクト
    • 役割: サブリーダー
  • 2014年4月 〜 2014年10月: 会計系Mプロジェクト
    • 〜 2014年6月: プログラマ(炎上プロジェクトの火消し)
    • 2014年7月 〜: リーダー(前リーダーがリタイヤしたので)
  • 2014年11月 〜 2014年12月: 銀行系Mプロジェクト
    • 役割: キックオフまでの環境整備
  • 2015年1月 〜 2015年2月: 物流系Mプロジェクト
    • 役割: テスト要員
  • 2015年3月 〜: 会計系Sプロジェクト
    • 役割: リーダー



就業時間の基準と残業


以下のグラフは、就業時間の基準(残業をしなかった場合の就業時間)と残業時間を表している。2つ目のグラフは、1つ目から残業時間だけを抜き出したものだ。

月80時間以上の残業をして、心疾患、脳梗塞などの病気で亡くなった場合、または自殺をした場合に「過労死」と認定される。

残業時間だけではわかりにくいと思うので、具体例をあげてみる。
月20時間なら毎日1時間残業、月60時間なら毎日3時間残業。この時点で退社時刻は22時になる。



平均退社時間


T社の就業規則に則ってグラフを出すと残業が短く計算されてしまうので、平均退社時間も出してみた。

これは平日の退社時刻を月ごとに平均したグラフだ。Y軸は定時の18時を基準にしている。

2011年3月〜2013年2月の約2年間は、以下のような生活を送っていた。
  • 6:00 起床
  • 6:30 お風呂
  • 7:00 出勤準備
  • 7:45 出勤
  • 9:00 出社
  • 23:30 退社
  • 25:00(1:00) 帰宅
  • 1:30 晩ごはん
  • 3:00 力尽きてソファーで寝落ち



残業時間と当時の状況

次のグラフが、残業時間のグラフに、当時どのような状況になっていたかを追記したものだ。


2011年5月上旬: 肩こり、眼痛、頭痛、吐き気、目眩が治まらなくなる


もともと肩こりはあったが、それにくわえ眼痛、頭痛、吐き気、目眩が治まらなくなった。毎日ロキソニンを2〜3錠飲んでいたが、まったく痛みは引かず我慢しながら仕事をしていた。


2011年6月下旬: 健康診断が最低評価になる


去年の10月の時点ではA評価だった健康診断が、6月には最低評価のE(要精密検査)になった。小中高の12年皆勤賞をもらうほどの健康児だったが、わずか8ヶ月でボロボロになってしまった
この頃には、私以外のメンバーは全員体調不良を理由に無断欠勤するようになり、残された私がリーダー的な立場となり、プロパーや下請けの方の管理をするようになっていた。


2012年2月中旬: 過労で鼻血を出し、倒れる


過労からか、仕事中に頭がボーッとして鼻血がでた。さらに2日後上司にインフルエンザをうつされ倒れる。過労で免疫力が低下している中でのインフルエンザだったため、立ち上がれないほど辛かった。





2012年6月中旬: 「うつ状態」と診断され、休職するために診断書を書いてもらうがもみ消される


心身ともに弱り、休日出勤中に「帰らせてください」と弱音を吐いたところ、上司に「もっと働け!」と怒鳴られる。先月の残業は160時間を超えていたのに。

上司もみんな帰宅し、プロジェクトルームで1人残業しているとき、なぜか涙がでて止まらなくなった。「心の病は甘え」という考えだった私も、さすがに身体が出してきたSOSサインに気づき、翌週の月曜に心療内科を受診し「うつ状態」と診断された。

休職するために診断書も書いてもらったがもみ消され、直属の課長にすらこのことを知らなかったらしい。その後も今までどおり働かされた。





2012年9月上旬: 好中球性皮膚性にかかる


過労とストレスによる免疫力低下で、帯状疱疹のような症状が現れた。5日ほど休みをもらい自宅療養。検査の結果は「好中球性皮膚性」で白血球や骨髄異形成症候群など血液疾患などを合併することが多く、酷いときには入院治療が必要になる病気らしい。


2015年1月30日: 退職の相談をする


なんだかんだあって、2015年にようやく辞める決意をし上司に相談。3月31日付けで退職することとなった。




体調不良とうつ状態と後遺症


過重労働を長期間続けたことで、以下のような症状が数年経った今でも発症する。
  • 思考がまとまらなくなった(難しいことを考えられない)
  • 記憶力が極端に落ちた
  • 会話するときに詰まることが多くなった
  • 情緒不安定になった
  • 視力が1.5→0.2に落ちた
  • 肩こり、頭痛、眼痛、ドライアイ、腰痛がレギュラー入り

身体的な変化も大きいが、いま一番苦労しているのは「思考がまとまらない」「記憶力の低下」だ。幸い今の会社はSlackなど文字でのコミュニケーションがメインなので困らないが、人と話そうとすると、言葉がでてこなかったり、相手の話が頭に入ってこなかったりする。自覚しながらも何度も同じ質問をしてしまったり、周りに迷惑をかけてしまった。



なぜ辞めることができなかったのか?


過労死やブラック企業の話をすると、外野から必ず「辞めればいいじゃん(笑)」と無責任なテンプレコメントが飛んでくる。たしかに正論だ。

でも辞められなかった。
その理由について書いていく。


就職活動のツライ思い出


前述のとおり、私は新氷河期に就職活動をしていたので、面接中にボロクソ言われ、お祈りばかりきた。時間と交通費を使ってようやく最終面接まで進んでも「去年なら採用してたけどねぇ。はぁ、、、で、君は即戦力になれるの?」「ウチじゃなくても良いじゃん」など圧迫的な面接をされ落とされることが多かった。

就活にはツライ記憶しかなく、もう二度としたくなかった。


マイナスよりゼロのほうが怖い


どんなツライ環境でも無職になるよりはマシだと思っていた。社会人1年経験して、無職になったら転職できないんじゃないかと。間近で内定切りや就職浪人になった人を見てきたので、余計そう思うのかもしれない。


また、不景気を理由に入社早々3〜5%の給与カットをされた。さらに入社1年目の終わりには東日本大震災がおき、東北に支社を持つT社の業績も悪化した。そのため、給与カットに加え、ボーナスが全カットになった。(といってもボーナスは満額でも10万円に満たない)

このような状況で東京に一人暮らしだと、生活するだけで精一杯で娯楽どころか貯金すらままならなかった。そのため、金銭的理由から「無職になっても構わないから一旦辞める」というリスクがとれなかった。

具体的な給与の話は、以下の記事でまとめている。
サンプル用の適当な数字に見せかけて、実は当時の募集要項に書かれていた金額だったりする。


過労から正常な判断ができなくなる


過労死のニュースが流れると必ず「死ぬ前になんで逃げなかったのか」というコメントを見かける。
身体が疲弊しているだけなら、まだ「辞める」という選択肢を考えることができた。しかし、心まで病んでくると頭も回らないし考えもまとまらない。「辞める」という選択肢が出てこなくなるのだ。

私自身、残業80時間以上が何ヶ月も続いたときの記憶がまったくと言ってよいほどない。記憶障害かもしれないし、単純に何も考えずに働いていたのかもしれない。

このように過労により考えることができず、正常な判断ができなくなる。


自分のスキル・実績不足


辞めることができなかった一番の原因は「自分のスキル・経験不足」だった。

もともと音響エンジニアを目指していたので、プログラミングなどは必修でしか学んでこなかったこともあり、スキル・実績ともほとんどなかった。それでいて、過重労働で睡眠時間すらまともに確保できない状況で、勉強なんてできる余裕はなかった。このままでは中途の世界では闘えない。そう思い、辞められなかった。


でも2012年12月頃から、ようやく残業が60時間以内に収まるようになり、この機を逃してはならないと、このブログ「Black Everyday Company」を立ち上げた。そして、毎日のように通勤中や休日に勉強するようになった。

いま生きていられるのは、まわりにいた「人」のおかげ


これまで述べてきたように、過労死レベルはとうに超え、心身ともにボロボロになった。

でも、私はいま生きている。
それは、まわりにいた人たちに救われたからだ。

同じ卒研室の友人

S.M。年に数回飲み会を企画し、仕事が忙しく何度も断ったことがあるが、毎回誘ってくれた。飲み会では学生に戻ったように一緒にバカ騒ぎして、楽しめる時間をつくってくれた。

Y.M。メタラー同士、一緒にCDを作っていた仲。社会人になっても一緒にCD作ろうぜと誘ってくれたり、メタルライブにも誘ってくれたり、イベントに誘ってくれたり、なんだかんだ気にかけてくれた。


Twitterのつながり


昔やってたmixiやTwitterで知り合い仲良くなった人たち。
顔も知らないような仲なのに、私の愚痴・鬱ツイートにも笑いを交えながらリプライをくれた。話を聞いてくれて、同調してくれて、アドバイスをくれた。

ブログを勧めてくれたのもTwitterで知り合った人だったりする。


会社関連の人


T社のF課長。唯一の理解者。
「ほら、飲み行くぞ」と仕事中にもかかわらず無理やり外に連れ出し、延々相談にのってくれた。退職の相談をするときも、「いろいろ悩んで相談してくれたんだろう。だから引き止めないよ。あとはうまくやっておくから安心しな」と送り出してくれた。

F社のMリーダー。「こんなリーダーになりたい」と思った憧れの人。
周りの人からは「こんな奴のどこがいいんだ?」「ただのアホだろw」と言われることが多かったが、この人がリーダーになってから世界がかわった。
「おはよー、おい元気ないぞー!」と目がさめるような大声とともに背中を叩かれ、笑い話を聞かされ、それでいて何かあったら庇ってくれて、残業時間は長かったけど全然つらくなかった。



で、結局どうすればよかったのか?


「体調を崩す前に辞める」これが最良の選択だ。

私の場合でいうと、2011年5月で辞めるべきだった。


スキル・経験がないので辞められないなら


スキル・経験がないことで悩んでいるなら、転職したい業界の勉強をすればよい。スキルなんて自分の努力次第でいくらでも身につく。
入社1年でやめたら経歴にキズがつく。転職に不利になる。そんなことを言っているのは、ブラック企業側の人間たち。若者を洗脳し、飼い殺しにするための口実だ。

私もSI業界からWeb業界へ転職する際に、半年間無職のままWeb系(HTML/CSS/JS)について勉強した。それでも今は立派なホワイト企業で働いている。


金銭的理由で辞められないなら


金銭的理由で辞めるのを悩んでいるなら、失業保険についてちょっと勉強してみると良い。退職の直近6ヶ月のうち、1ヶ月で残業100時間以上。2~6ヶ月平均で残業80時間以上。3ヶ月連続で残業45時間以上あれば、すぐに失業給付が受けられる。

私も会社の圧力により、退職届けには「自己都合」と書いた。しかし、タイムカードを持ってハローワークにいったらすぐに「特定理由離職者」に認定された。これは「会社都合」の退職と同じ扱いになる。

そのため、1週間ほどの待機期間ののち、120日ほど失業保険が貰える。(額にして月12〜15万円とか)
さらに、国民健康保険料も軽減される。


「いのちをだいじに」


声を大にしていいたいことは「いのちをだいじに」

仕事はいくらでもある。
でも、あなたは1人しかいない


一度体調を崩すと、一生つきまとってくる。おそらく寿命も縮まるだろう。どんなに努力してもそう簡単には治らない。

だから、選択を誤らないでほしい。


死を考える前に、会社をやめることを考えてほしい。
なんなら、私で良ければいつでも相談にのる。
都内ならリアルに会って、愚痴を延々聞いてあげることもできる。


だから死なないでほしい。


「死ぬな、生きろ」ってのも無責任かもしれないし、この記事も生存バイアスがかかっているかもしれない。適切なアドバイスなんて言えないけど、手遅れになる前にちょっとだけ勇気をだして行動してみてほしい。そうすれば世界が変わるかもしれない。



Special Thanks


音楽関係の元友人T.NとK.S。
友達だと思ってたけど、一番ツライときにTwitterで「こっちまで不快になるわ!うぜぇ。」とエアリプをくれた。できれば無言でブロックしてほしかったのだけれど、君たちのおかげて私がいかに毒を振りまいていたのか自覚できたよ。同時に、弱ってる人にトドメを刺す方法も教わった。ありがとう。完全に逆恨みだけど、二人にささやかな不幸が訪れますように。


T社のGリーダーとF社のKリーダー。
人生でこれほどまでに人をキライになったことはない。会社をやめて2年経つけど、今でも殺したいほど憎んでいるし、不幸が降りかかればいいと思っている。黒魔術の類があったらお願いしたい。
でもお二人は、私の中では最高の反面教師だった。どうすれば信頼を失うのか、嫌われるのかを教わった。また、「どうしたらこんなヤツに育つんだ?」と思うようなクズ人間を相手にしても、お前らほど酷くない、普通のことだ、と寛大な心で許せるようになり、人間として成長できた。ありがとうございます。



追記: 2016/12/27 14:00
多くの方に読んでいただけたことで、ブラック企業の実態を知っていただけたと思う。また、Twitterやはてなブックマークで心配のコメントをいただき嬉しく思う。

それらのコメントの中には、質問なども含まれているので、本文に追記する形で回答する。


> 未払い残業代は請求したの?メモ書き程度でも証拠として採用された例があるぞ。

等級や基本給が低いこともあり、残業代は全額支払われた。ただし、先輩は私より1つ上の等級で年俸制に変わっていたため、残業代は「みなし残業20時間分」しか支払われなかったらしい。
また、もみ消された分は証拠がないのと、休憩時間も仕事していた件については本当に休んでいたこともあるので、明確な武器を持てていないのが現状である。


> 会社関連の人が普通にやれてそうなところを見ると適性の問題もありそうですが辞めれて良かったと思います

お世話になった会社の人はスポット対応であったり、稼働が落ち着いてから参画された方で、私のように長期間フルタイムで働いていたわけではない。ただ、Excelにスクショを貼り付けるだけの仕事は耐えられなかったので、SIerで働く適正はなかったのかもしれない。


> ロキソニン毎日はほんとアカンやつやで。閾値超えると鎮痛剤アレルギーになって一生服用できない体になってしまうんやで。

知らなかった、、、有益な情報、ありがとうございます。
近くの薬局で薬剤師の方に相談したことはあったが、最終的に「十分な休息が必要」という回答にたどり着いて何もできなかった。
またロキソニンとは別に、2012年3月頃から身体があまりにも言うこときかないので、毎朝QPコーワGold+リポビタンDでドーピングしていた。お昼過ぎまでは元気になるのだが、それ以降は反動で立っているのがやっとだった。
皆さんは、薬漬けになる前に「休息」をとってほしい。


> これで4年も続くなんて体が丈夫なんだろうな
> 過労死レベルまで働けるのが、逆に凄いと思ってしまう。

もともと健康体で、かつ20代前半で若さもあり、まわりの人より無理ができてしまったのだと思う。ただ20数年、両親においしいご飯を食べさせてもらい健康に育った身体も、たった数ヶ月でボロボロになってしまって、本当に申し訳なく思う。


> 鬱とか書いてるけど、脳機能障害=痴呆みたいな症状が出ちゃってるね
> 心の病気って言うけど、実際は脳の一部が壊れて戻らない状態だからね

やはり脳に何らかのダメージがあったのだろうか。私自身は考えがまとまらないなぁ、記憶力が落ちたなぁ、程度にしか思っていなかった。それよりも体調不良が気になって気づかなかった。過重労働で同じような症状になった方は、すぐに病院で検査してもらいたい。



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以上



written by @bc_rikko

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